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二十四の瞳 (映画) : ミニ英和和英辞書
二十四の瞳 (映画)[にじゅうしの ひとみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
二十 : [はたち]
 【名詞】 1. (1) 20 years old 2. (2) 20th year 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十四 : [じゅうよん]
 【名詞】 1. 14 2. fourteen 
: [よん]
  1. (num) four 
: [ひとみ]
 【名詞】 1. (1) pupil (of eye) 2. (2) eye 
映画 : [えいが]
 【名詞】 1. movie 2. film 
: [かく, が]
 【名詞】 1. stroke 

二十四の瞳 (映画) : ウィキペディア日本語版
二十四の瞳 (映画)[にじゅうしの ひとみ]

二十四の瞳』(にじゅうしの ひとみ)は、1954年昭和29年)に公開された松竹大船撮影所製作、木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演による日本映画である。
日本第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていく女性教師と生徒たちの苦難と悲劇を通して、戦争の悲壮さを描いた作品である。
1952年昭和27年)に発表された壺井栄小説二十四の瞳』が原作であり、この2年後映画が公開された。なお、1987年(昭和62年)、朝間義隆監督により再度映画化された。〔同小説は、これまで9回映像化された。映画化は2回、テレビドラマ化は6回、テレビアニメ化は1回。(二十四の瞳の目次も参照の事)〕
== 製作 ==
第二次世界大戦の終結から7年後、1952年昭和27年)、この戦争が女性教師と生徒たちにもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた原作「二十四の瞳」が発表された。
映画は、この原作同様、1928年昭和3年)から1946年(昭和21年)までの18年間を描いている。撮影は、原作発表の翌年1953年(昭和28年)から1954年(昭和29年)春にかけて行われ、その年の9月に公開された。
よって、原作者、監督(兼脚本)、カメラマン、美術、そして主演女優をはじめ、子役を除き、スタッフキャスト全員が、第二次世界大戦の戦時下を生きた人々である。〔監督(兼脚本)の木下惠介は、1940年昭和15年)に、兵士として中国戦線に行き、同戦線にて負傷、翌年帰国した軍隊経験者でもある。(木下惠介#略歴)〕
言論の自由のない軍国主義を突き進んだ日本、そして、敗戦によりそこから解放された日本、2つの時代の日本を生き、その空気感の違いを身を持って知るスタッフキャストたちにより制作された映画である。
壺井栄の原作では、その冒頭で、舞台を「瀬戸内海べりの一寒村」としており、全ページを通じて、一切、舞台の具体的な地名は出てこない。
しかし、この映画では、原作者壺井栄の故郷が香川県小豆島であることから、物語の舞台を「小豆島」と設定した。ロケも同地で行われた。
そのため、この映画のヒット以降は、「二十四の瞳」と、原作にはない「小豆島」の2つが結びついて広く認識されるようになった。
なお、公開年の「キネマ旬報ベスト・テン」で、同年公開の黒澤明監督作『七人の侍』をおさえて、第1位となったこの映画『二十四の瞳』(1954年)は 、1987年(昭和62年)に朝間義隆監督によりリメイクされた。脚本は1954年版と同じく木下惠介であり、木下は、リメイク版公開の11年後、1998年平成10年)に他界した。
小豆島には、この1987年版「二十四の瞳」映画撮影時のオープンセットを活用した「二十四の瞳映画村」がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「二十四の瞳 (映画)」の詳細全文を読む




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